尾張津島天王祭 宵祭  (愛知県津島市神明町  津島神社・天王川公園)

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今回のお祭りは前回の予告通り、国の重要無形民俗文化財であり、この東海地方の夏祭り(天王祭、祇園祭)の総本山?でもある尾張津島の天王祭です。この天王祭は津島神社の祭礼として500年以上も続いています。起源は南北朝時代に津島に逃れてきた後醍醐天皇の曾孫「良王親王」を守る津島武士が、北朝方の武士を舟遊びに誘い出し、これを討ち取ったことに由来する行事とか、津島神社の「神葭流し」の神事をもとにしたものとか言われているが明らかではありません。永禄3年(1560)桶狭間の戦いの2年前、夫人同伴で織田信長が朝祭を見物しています。昔は旧暦の6月14日15日に行われていたが、昭和38年(1963)から太陽暦の7月第4土曜日(宵祭)と翌日の日曜日(朝祭)に変更され、現在に至っています。宵祭は旧津島五か村の米之座(こめのざ)今市場(いまいちば)筏場(いかだば)下構(しもがまえ)堤下(とうげ)から5艘の「巻藁船」(まきわらぶね)が出され、屋台の上には半円形の山型に365個(一年の日を表す)の提灯を、中央高く立てられた真柱に12個(月を表す)の提灯を点灯し、津島笛を奏でながら、出発点の車河戸から御旅所までゆうゆうと漕ぎ渡ります。


さて、一宮の七夕まつりを見終えた後、津島を訪れたのだが、本来この日のお祭りは午前10時の神輿渡御(宵祭、朝祭の船を御神覧のため、津島神社から天王川公園にある御旅所まで神輿が移動。この神輿が津島神社を出るのは、この天王祭の時だけなのだ。)から始まっている。しかしここからお祭りを見始めると時間がかなり余ってしまうので、いつも夜の「巻藁船」の如意点火(にょいてんか・提灯点火のこと)に間に合うような時間に来るのです。祭り会場の天王川公園では午後6時から火縄銃や和太鼓、山車のお囃子、手筒花火などのイベントも行われる。しかし午後6時過ぎ、何とかもっていた天気が急降下、雨が降り出しだんだんと強くなってくる。この時点でほとんどのイベントは中止となる。小雨程度なら決行だが「巻藁船」は大丈夫か?この大雨が続くと中止になるぞ・・・しかし中止か決行かの放送がないまま時間は過ぎ午後7時。本来この時間から「巻藁船」の如意点火が行われるのだが準備もされない。晴れ男出撃の効果もなく中止になってしまうのか?


何の放送もないまま時間だけが過ぎていく(焦)。午後7時半をまわった頃に雨…