ちんとろ祭  (愛知県半田市宮路町  住吉神社)

さて、お約束通り今回は、本格的なお祭り記事をおおくりしたいと思います(笑)。と言っても今年に入ってからというものなかなかお祭りに出かける暇がなく、なおかつ長年連れ添ってきた相棒「40D」の調子も悪く思うような写真も撮れず、新作がないんです(汗)。そこで昨年訪れて、記事アップができなかったお祭りを紹介したいと思います。月は二ヶ月ほど遡り、昨年の4月9日、10日に半田市の上半田地区、住吉神社で行われた例大祭のレポートです。前に乙川の「けんか祭り」の記事でも書きましたが、半田市では3月下旬から5月上旬までの一カ月チョイの間に各地区で春祭りが行われます。今回のお祭りもその中のひとつなんですよ。
 
 
お祭りは、通称「ちんとろ祭」と呼ばれ、地元では「ちんとろさん」とも呼ばれています。この名前の由来は、お祭りに登場する巻藁船の提灯を「珍灯籠」と言い、そこからこの名になったとか、祭り囃子が「チントロ、チントロ、サッサイ」と聞こえるというところからきている。とか言われております。お祭りを行う住吉神社は、かつて入水下神社といい、船乗りの神様である「住吉三神」をお祀りしています。創建は不詳(今から450年ほど前とも伝わるが)ですが、古い棟札には永禄二(1559)年のものもあるそうです。
 
 
お祭り当日は、地区の南北から二艘の巻藁船(ちんとろ船と呼ばれる)と、二輌の山車が出ます。ちんとろ船は北組を「住吉丸」、南組「入宮丸」と呼び、山車は南組を「福神車」、北組を「唐子車」と呼びます。(ちんとろ船と山車で紹介した組順が逆になっていることに気がついた方はスルドイ(笑)!これ意味があるのです。詳しくは後ほど説明しますね。)お祭りは一日目を試楽、二日目を本楽といい、試楽では、白装束の厄男たちに担がれた御輿が裃を着た(還暦の男)露払い、法被姿の若衆や子供たちが曵く山車に守られて、地区の神社や社を巡ります。日が暮れ始めると宵宮が行われ、神前と提灯の飾られたちんとろ船の上で「神の子・三番叟」が奉納され、最後は花火で締めくくられます。本楽も同じように「神の子・三番叟」が奉納されますが、船は提灯から唐破風の上山に変えられます。そして全ての神事が終わると、山車はそれぞれのさや蔵(山車を納める蔵)に戻り(二輌の山車が曵き別れる時がなかなかの見せ場です。)、「神の子・三番叟」はお世話になった家々を回って「お礼の舞」を捧げお祭りは終わるのです。
 
 
さて、ここからが久々のマニアック解説です(笑)。まずはこのお祭りの始まりからお話しましょう。元々このお祭りが行われている上半田地区は先に南側に町ができました。その町でお祭りに曵く山車を造ったのが始まりです。やがて町は、次男、三男たちが町を北側に広げ大きくなったのですが、「俺たちも祭りに参加するぞ!」ということになり、「南が山車なら、俺たちは船だ!」と津島の天王祭の巻藁船を模してちんとろ船を造りました。ですからはじめのうちは南が山車、北がちんとろ船だったのですが、その後南が「じゃぁ、俺たちも船を持とう。」ということりなり、「だったら俺たちは山車を持つ。」と北が言い、結局両方の地区が山車とちんとろ船を持つようになったんです(笑)。ただこの南北が競い合う心意気がお祭りを盛り上げ、現代に受け継がれていることは間違いありません。(先に書いたちんとろ船と山車の組順の訳わかっていただけました?)さらにマニアックに続けましょう。このちんとろ船は江戸時代末期(1800年頃)に津島の「天王祭」の巻藁船を模したということで、今でも津島市との交流があるそうです。しかし、お祭りに関しては本家?も分家?もないようで、地元には地元のこだわりがあり、津島の巻藁用の提灯は1個1500円なのだそうだが、ここ上半田は1個6500円もする上物を使っているという。さらに蝋燭も津島は市販の蝋燭だが、上半田では特注の和蝋燭を使うというこだわりようなのだ(笑)。(この話を聞いた方から記念にとのことでその和蝋燭を一本いただいてしまいました。この和蝋燭は今でも大事に保管してあります。)次に山車ですが、こちらもビックリ情報が(笑)!北組の「唐子車」の車輪に使う木を関東の方で見つけたらしいのですが、そのお値段ナ、ナ、ナント!1200万円!!ビックリでしょう?それもこの木が空洞もなく上手く加工できればよいのですが、加工してダメならその1200万円がパーになってしまうのだそうです。ちなみに山車1輌造ろうとすると昔で6億円、現在ならその倍はするといわれています。(高山の屋台は7億円と聞いています。)最後に「神の子・三番叟」ですが、この三番叟は悪霊を鎮め、わざわいを祓い、町に繁栄をもたらすといわれ、北と南では違いがあります。、北のそれを「男三番叟」、南のそれを「女三番叟」といい、化粧、衣装、お囃子、舞全てにおいて違うのです。(同時に舞われない為違いがわかる方は少ないそうです。)三番叟の踊り手は学齢期前の男子から選ばれ、その選出された男子の家は「宿元」と呼ばれ、三番叟の稽古場、ちんとろ船の拠点となります。「稽古はじめ」は3月初旬で、祭り前夜の「稽古あげ」まで1カ月ほど続きます。なんでも所作を覚えるまでは、親も稽古場に入れず、師匠と弟子(男子)の二人だけで行う、とても厳しい稽古だそうです。その後両親への披露が行われ、囃子方を交えた南北の合同稽古のころになると、りりしく神々しいほどの舞を披露できる「神の子・三番叟」に昇華するそうです。ちなみにこの「三番叟」を舞う男子はまさに御神体で、お祭り期間中は一切地面に触れることはありません。
 
 
久々の本格的お祭り記事で、あれも書きたい、これも書きたいで長いレポートになってしまいました。まだまだ書き足りない気がしますが、読む気がなくなると困るので、このあたりでやめにします。それでは次のお祭りに行ってきます。
 
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