御頭神事  (三重県伊勢市御薗町高向  高向大社)

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2月11日から待ちに待った14日です(笑)。岐阜県下呂市の田の神祭りを見送って、やって参り
ました。伊勢市高向(たかぶく)。しかしブログのアップが遅れてしまい、神事の内容等は、絵日傘
さんや、てっつんさんが先に詳しく書いているので、改めて書くことはないかなぁ?と思いつつとり
あえずレポートします(笑)。


この神事は今から800年前、村中に疫病が流行ったときに、一人の少年が神庫から獅子頭を持ち出
し、村の長老らと共に祓い清めの舞をして疫病を追い払ったのが始まりとされている。
ちなみに御頭とは村人たちが神様あつかいで敬意を表している獅子頭のことで、高向大社の雄頭と、
加布良(鏑)社の雌頭の二つがあり、それぞれ40キロの重さがある。御頭神事は数あれど国の重要
無形民俗文化財に指定されているのはここだけです。


お祭り(神事)は午前7時過ぎに御頭様が会所を出発し、杉太夫と呼ばれる舞い手や、神楽衆と共に
高向大社へむかう。神前にてスサノオノミコトヤマタノオロチ退治にちなむ七起の舞を演じる。雄
、雌二頭の舞が終わると、大社を出て近くのコドノにむかい、エイト-、エイト-と唱えて二拝し、
その後二手に分かれて地区の各家をまわる(含め物という)。各家では玄関口で威勢のよい掛け声と
ともに二拝する。御頭様がお越しになった家では、おひねりを出してこれを労う。含め物の途中で、
数件ある頭屋(トウヤ)と会所に寄り、七起の舞が演じられ、御神酒などが振る舞われる。(頭屋に
なったお宅は大変な出費になるそうだが、皆さんそれは名誉なことですからとおっしゃいます。)
地区を一巡すると、夜の打祭(ウチマツリ)まで盆道(ボンド)と呼ばれる場所に御頭様は一時保管
される。そして夜ともなるとお祭りのメイン?打祭がはじまる。打祭は地区の若者たちによる共盛団
(白い衣装の若者たち)が中心となって行われる。松明の火の粉が降り注ぐ中、勇壮な御頭揚げがは
じまると祭り気分も最高潮に(御頭様を高々と打ち振るうことを御頭揚げと呼ぶ)!御頭揚げをしな
がら一行は大かがり火が焚かれるツムギ場にむかい、かがり火を三周して再び盆道に戻る。その後、
注連縄の張られた斬祓場で大刀舞を行い、御頭様は会所に引き上げる。最後に共盛団がツムギ場に集
まり、お方踊りを舞って長かった神事は終わりを告げる。


ちなみに御頭揚げをする時に掛け声をかけるのですが、鏑さんを御頭揚げする共盛団は23歳の若者
が中心となっているそうで、自分の年齢の下の数、つまり3をサンヤと叫ぶそうです。あと、役職を
叫ぶ方もみえるそうです。(例えば消防団の方ならショウボウヤという具合)今回は、鏑さんの方し
か聞いてませんが、来年は高向さんの方も聞いてみますね。(以前聞いた方は屋号のようなものを言
ってるんだと教えてくれたのですが、どうも違うみたいです。もしかすると高向さんの方はそうなの
かな?)


今回の御頭神事はリベンジに燃えて気合が入っていました(笑)。午前中の七起の舞を見て、含め物
に移った後、一旦高向を離れ村松へ。初めての村松御頭神事に後ろ髪を引かれつつ、打祭には絵日傘
さんも来られると聞いていたので、午後5時頃に戻ってまいりました。すでに鏑さんが舞いをはじめ
ており早速撮影開始。暫くすると以前知り合った松阪の女性カメラマンの方と再会。色々話している
うちに鏑さん出発。長々話していたのですが鏑さんが気になり後を追っかけました(笑)。毎年高向
さんにくっついていたのですが、今回初の鏑さんおっかけをしましたよ。今年は時間の都合で打祭の
途中で引き上げてしまいましたが、来年はお方踊りまで付き合いたいと思います。


さて、撮影ポイントですが、何といっても打祭でしょう。赤々と燃え上がる松明の下で行われる御頭
揚げは迫力満点。でも接近しての撮影は危険ですから十分に注意して下さいね。動きやすい服装と、
カメラバックや複数のカメラなどをジャラジャラ下げない身軽さ。あとはフットワークの良さが求め
られるかもしれません。最後にお祭り関係者の方の指示にはくれぐれも従って下さいね。


それでは、次なるお祭りを求めて、行ってきます。