尾張大国霊神社 儺追祭  (愛知県稲沢市国府宮  尾張大国霊神社)

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さて、今回のお祭りレポートは、愛知県指定の無形民俗文化財であり、天下の奇祭としてその名を轟かす、愛知県稲沢市の「尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)の儺追祭(なおいまつり)」、別名「国府宮のはだか祭」です。えっ、また参加したのかって?いえいえこのお祭りは、他のはだか祭と違い飛び入りで参加できるものではないのですよ。お祭り参加のお世話してくれるところがあり、そこに話しを持っていかないと参加できないのです。色々な手順をふまないと参加できないのですよ。それに今回は時期的に確定申告等の用もあり、参加する余裕がなかったというのが本当のところなんですが・・・しかし仕事は休みをとっており、時間があれば見に行こうとは思っていました。当日は朝から雨だったのですが、お昼に2時間ほど時間ができたので寄ってみました。限られた時間で見ていたため、肝心の儺追人(神男)の登場は見れませんでした(笑)。写真もたいしたものは撮影できませんでしたが、行ったいじょうはレポートしようと頑張ってみました(笑)。今回は写真よりも記事メインといったほうがいいかも・・・の内容です。


まずはお祭りの舞台である尾張大国霊神社の説明をしますね。この神社は崇神天皇時代の鎮座と伝えられ、主神は国土の神である尾張大国霊神、大御霊神とともに、海神として名高い宗像神が祀られています。何故この地に海神である宗像神が祀られているのか不思議ですよね。それは市内を流れる三宅川を利用して伊勢湾に至る水路の安全を守る神社であったのではないかと考えられているんだそうです。建物の配置は尾張式と呼ばれるもので、楼門、拝殿、本殿が一直線に並ばず、くの字に配置されています。平安時代の末期には、尾張総社、または単に総社とも呼ばれ、近くに尾張国国府があったため国府宮とも呼ばれました。ここでお解りかと思いますが、普段我々愛知県民が呼び親しんでいる国府宮とは正式名称ではなく、通称なんですね。そしてこの神社で奈良時代尾張国司(今の県知事のような人)が厄払いをした儺追神事と、裸で行った寒参りの風習が一緒になり、江戸時代末期に現在の形の儺追祭が始まったとされています。ちなみにお祭りでは裸男たちが激しくぶつかりあうのですが、これは嫌がる人を神官が取り押さえ、儺追人(神男)にしたてた際のもみあいがこの形態として残っているのだそうです。何か抵抗す…