犬山祭 その1  (愛知県犬山市  針綱神社 旧市街地)

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さぁて、今度こそ犬山祭の紹介です。このお祭りは私の好きなお祭りのひとつでして、お話ししたいこと、見ていただきたい写真も沢山ありますので、今回はその1(お祭りの説明)、その2(裏話?や当日のレポート)に分けてレポートしたいと思います。写真はその1が本楽(日曜日)の昼間、その2が本楽の夜(夜車山)です。尚、写真の中には、一部昨年のものも含まれていますのでご了承下さい。


ということで、この犬山祭とは毎年4月の第1土・日に行われる針綱神社の祭礼である。お祭りは寛永8(1634)年、城下に大火があり、その翌年復興祈願のためにはじめられたといわれている。魚屋町の「茶摘練り物」と下本町の「馬の塔」がその始まりであったらしい。その後、犬山城主が尾張藩の付家老であったこともあり、東照宮祭でみられた山車(だし)によるお祭りが犬山でもはじめられ、寛永18(1641)年、下本町が「馬の塔」を車山(犬山ではこの字でやまと呼ぶ)にかえ、車山の上でからくり奉納をするようになった。慶安3(1650)年、時の城主成瀬正虎の沙汰で、城下の他の町村も車山を出すようになった。


犬山祭の車山は現在13輌有り、新町の船形を除いていずれも三層(上山、中山、下山、車台からなる)の犬山型で、高さ約8メートル、屋根の上につける梵天(ぼーてん)をいれると9メートル弱の高さになる。
ここで少し13輌の車山の名を紹介しよう。
枝町の「遊神魚(ゆうじんぎょ)」、魚屋町の「眞先(まさき)」、下本町の「應合子(おうごうし)」、中本町の「西王母(せいおうぼ)」、熊野町の「住吉台(すみよしだい)」、新町の「浦嶌(うらしま)」、本町の「咸英(かんえい)」、練屋町の「国香欄(こっこうらん)」、鍛治屋町の「寿老台(じゅろうだい)」、名栗町の「縫英(ほうえい)」、寺内町の「老松(ろうしょう)」、余坂の「宝袋(ほうてい)」、外町の「梅梢戯(ばいしょうぎ)」で、由来は一部を除きそのほとんどがからくりに因んで名付けられている。


さて、春の犬山祭では日中13輌の車山が針綱神社前に勢揃いし、それぞれからくり奉納を行う。夜ともなれば北組、南組の二手に分かれ各車山とも365個の提灯を点け、旧城下町を練る夜車山(よやま)が行われる。因みに土曜日の試楽では北組は針綱神社前で、南組は名鉄犬山駅前で提灯を点灯し、日曜日の本楽では北組は余坂で、南組は名鉄山口駅で提灯を点灯する。


昔から「犬山祭は二度より、三度・・・」と言われており、見所満載である。その第一は、13輌の車山の全てに「からくり」が設えてあること。第二に夜車山のお練り。365個の提灯に灯が入り、桜並木の町並みへ繰り出す様はまさに一幅の絵巻物。第三に「どんでん、車切」(写真3・4が車切です。)何れも曳山の巡行には必須の手子連(梶棒を操る若衆のこと)の力自慢の技。第四にお囃子方の子供連の金襦袢。その豪華な刺繍や電飾の鮮やかなこと。(古いものは金糸の刺繍の煌びやかさ、新しいものは夜車山でのその輝きに驚かされる。因みに写真6が前者、写真7が後者である。)第五が各車山の水引幕と彫刻の絢爛豪華さが挙げられる。このような多くの見所で、見る人を飽きさせないお祭りである。